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Animal

By. Mg.D/マグ

手のひらに銀貨

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ヨシフに呼び出されたショウはマフラーひとつ巻いただけで、鼻の頭も耳も真っ赤だった。駅の雑踏の中でもひときわ軽装だ。
「子供は元気だな、おい」
 寒くねえのか、と顔をしかめたヨシフは、ショウとは対照的に防寒装備を固めていた。ロングコート、手袋、マフラーと順に目で追ったショウはつまらなそうに肩をすくめる。
「べっつに。こんくらい何ともねえよ。おっさん寒がりなのか?」
「取り立ててそう思ったことはないが、日本の冬は風がすかすかしてて嫌になる」
 言いつつ、先に買っておいたチケットをショウに見せた。
「それで、さっそく本題だが――」
 ヨシフがそれを口にするより早く、子供はひらりと手を振って歩き出した。
「ああ、分かってるよ。親父のご機嫌取りだろ? アンタも雑用ばっかでご苦労なこった」
「うるせえよ。適度にガス抜きさせてやらないと後が面倒なんだ。火種が大きいほど初動は早くなる」
 ヨシフは煙草の煙をたなびかせて、歩幅を広げて子供に並んだ。
 収監された統一郎は態度こそ従順だが、監視上の危険度は最大のレベル5から揺らがない。その気になればいつでも国家転覆を図れる実力とカリスマの持ち主――厄介なことに組織規模もそれに伴っている。だからこそ政府はあらゆる対策を打っているし、使えるものは何でも使う姿勢でいる。ヨシフはもちろん、ショウさえも。
「スズキはこれまでおとなしかったが、この間いくつか要求をしてきた」
 ショウの足が止まる。父親と同じ色の瞳を見下ろして、ひとつ訊ねた。
「お前、カレンダーの日付は気にするタイプか?」
「はあ?」
「獄中だとそれくらいしか変化がないからな。スズキは気にしていた。もうじき、お前の誕生日だってな」
 歩調を緩めてヨシフは再び歩き始める。少し後ろをついてくる子供の、表情は分からない。
 振り返ったとしても見せてはくれないだろう。ショウはそういう子供だ。
「今日のミッションは二つだ。お前を楽しませること、俺はその写真を撮ること」
「……それで、その写真を親父に?」
「そういうことだ。話が早くて助かる」
 返事も聞かず、ヨシフは子供の手に入園チケットを握らせた。突き返す気配はない。それを意思表示と受け取った。
 携帯灰皿で煙草を揉み消して、入園口を顎で示す。
「行くぞ」
 子供は意を決したように頷いて、ヨシフの後についてきた。
 親子どころか友人でもない二人は、賑わう園内でも浮いた存在だった。それでも手を繋いだりする気はなかったし、ショウだってそこまで幼くはない。入園口にあったパンフレットを取って、お決まりのようにパンダを見に行く。大きな白黒の生き物はこちらに背を向けて眠っているようだった。つまんないねー、と通りすがりの親子が言い合いながら離れていく。どうする、と目配せしあって、ショウとパンダのおざなりなツーショットを一枚撮った。マフラーに顎をうずめた子供はレンズを見もしなかった。
「他に何か見たいもんは?」
「べつに」
 気のない様子でパンフレットをなぞる子供は、ふと一箇所で指を止めた。
「ああ、おっさん。喫煙所そこしかねえみてーだぞ」
「げ、マジかよ」
 ヨシフは顔をしかめて隣から地図を覗き込んだ。日本語に疎くても分かるよう図形の並んだ地図を隅から隅まで探したが、灰皿のマークは確かに一箇所しかなかった。
「肩身が狭いな」
「禁煙しろよ」
「ついでに超能力も禁止しろってか。終いにゃマッチで戦う放火魔になるぞ」
「アンタまで犯罪者になんのかよ」
「笑えない冗談だな」
 くだらないことを言い合いながら喫煙所に向かう。幸い相席する者はいなかったが、子供が離れる様子もない。ヨシフがライターの火を煙草に近づけ、煙をふかすさまをどこか面白そうに見つめていた。
「ヤニ中は大変だな」
「言ってろクソガキ」
 煙を吹きかけてやると、うっとうしげに手で払う。また指先が赤くなっていた。
 寒くないのか、と再び訊ねる前に子供は手をポケットに突っ込んでしまった。
「そういやおっさん、煙草なしでも戦えんの?」
「なめるなよ。手ぶらでも戦えなくてどうする」
 軽く蹴る仕草をしてみせる。一見普通の革靴だが、つま先と踵に鉄が仕込まれた特注品だった。
 ヨシフにとっては身に付けるもの全てが武器だ。ライターを拳に握り込んでの殴打は何も持たないよりも威力が増す。懐のペンをうなじに突き立てれば一撃で絶命させられる。ネクタイでの絞殺も、もちろん煙草の煙での窒息死も、大っぴらには言えない場面で無数に経験している。
 全て仕事だ。こうしてこの場にいることも。
 カツ、と硬い靴音に子供はスッと目を細めて、「そーだったな」とそっけなく呟いた。
 ヨシフは無言で少年を見下ろす。瞳の力強さに反して幼さの残る横顔のライン。いずれ父によく似た青年に育つだろう、と予期できる。
 統一郎の息子であるショウもまた監視対象だった。そしてショウ自身も恐らくそれを思い出したのだろう。軽口もそれきりで、煙草が燃え尽きて灰皿に捨てられるまで子供は何も言わなかった。
「写真、撮るか」
 思い出したように呟くと、「どこで?」と返される。
「動物園だぞ、好きな動物とかいないのか」
「……ハムスター?」
「……いなさそうだな」
「だろうな」
 どちらからともなく溜息をついて歩き出す。見たい動物がいるわけでもなく、ぶらぶらと順路に沿って歩いていく。
 ヨシフはつかず離れずの距離にいる子供のつむじをそっと見下ろした。冷え切った耳と頬。ポケットに突っ込んだパンフレット。そのくせ、帰ってもいいか、と言い出すそぶりはない。
 何故動物園なのか、と問わないのが不思議だった。ヨシフが決めたと思っているのだろうか。それとも、覚えているのだろうか。
 かつて父母と手を繋いで歩いたであろう園内を、子供は黙って辿っている。
 すこし息を吐いて、ヨシフは統一郎の立ち姿を思い描いた。自分とさして変わらない身長。その目線のまま、あえて屈まずにシャッターを切った。
 カシャ、と軽い音に子供が振り返る。もう一度シャッターを切る。口を尖らせたところで、さらにもう一度。
 ぱっと身を翻してインスタントカメラを奪われかけたのだけは難なく避ける。
「何撮ってんだよ。面白くもなんともねーだろ」
「どうかな。スズキはよく分からん男だから、こういう写真のほうがいいんじゃないのか」
「つーか、やっすいカメラだな」
「デジタルには痛い目見せられてるからな。現像したらフィルムはお前に返していいと言われている。欲しいか?」
「いらねーよ」
「母親にも渡してやれって言ってんだ。揃いの写真くらい持たせてやれ」
 子供は息を呑んでヨシフを振り仰いだ。見開いた目の色が日差しの下で輝いて、宝石みたいだな、とらしくもないことを思った。
 ふらつく視線が幾度かヨシフとカメラの間を往復する。
「……じゃあ、貰っとく」
「なら、そうする」
 ヨシフはカメラをコートのポケットに突っ込んで、ショウと並んで歩き始めた。
 俯くまいとするように、眼下で赤毛の先が揺れていた。だから、ヨシフもそちらは見なかった。
 父母と暮らせないことを憐れむのは簡単だ。だからこそ、すべきではないと思う。この子供に対してヨシフができるのは、ただ仕事相手として対等に扱うという、それだけだった。
 家族の問題に手を貸すことはできても、口を挟むことはできない。それは彼ら自身の成すべきことだ。
 ヨシフは仕事の内容を思い出して、ひっそりと溜息をついた。
 碌に会話をするでもなく、猛禽の獣舎を眺めて歩いた。今は気配のないフクロウ舎と、ワシやタカの部類。悠然と翼を広げて伸びをする大鷲と、それを見上げる子供の横顔を写真に収めた。絵に描きてえな、と呟くので訊ねてみると、趣味なのだと教えてくれた。案外繊細な趣味だな、と思ったのは黙っておいた。
「写真ついでに絵も届けてやろうか」
「いらねーよ。それこそ何描きゃいいか分かんねーし」
「好きな動物でも描いて贈ればいい。親なんてそれで喜ぶもんだろう」
「そういうもんか?」
「多分な。――ああ、何だ?こっちにゃ何もいなさそうだな」
 獣舎が途切れたのに気付いて足を止め、ショウのポケットに突っ込まれたきりの地図を顎で示す。がさがさと開かれたそれを二人で覗き込むと、どうやら休憩ゾーンのような空白地帯になっているようだった。
「こっからだとカワウソのが近いみてーだな」
「じゃあ、しらみつぶしにそっちから見るか」
「アンタ意外とビンボーショーなのか?」
「貧乏性?そうかもな。こんな仕事してると、後悔はしたくねえと思うようになる」
「ははっ、同感だ」
 軽やかに笑って子供は駆け出す。ヨシフはつい癖で煙草に手をやりかけて、舌打ちして歩幅を広げて後を追った。
「見ろよ!おっさんそっくりだぜ!」
 ショウは金網の前ではしゃいだ声を上げて、つるりと頭を撫でる仕草をしてみせた。ヨシフも軽く殴る仕草で応じる。
「てめえ、見た目だけで言ってんじゃねえぞ」
「似てる似てねえなんて見た目以外の何物でもねーだろ」
「だったらお前はさしずめキツネだな、クソガキ」
 小賢しいという意味を込めて言ったつもりだったが、子供は別の連想をしたようだった。
「『この手にぴったりの手袋をください』ってか」
「あ?」
「絵本だよ。あー、知らねえか」
 ショウは寒そうにポケットに手を突っ込んで、ざっとあらすじを教えてくれた。
「キツネの親子がさ、真冬に手袋を買いに行くんだよ。仔ギツネに銀貨を渡してさ。母ちゃんギツネに片方の手だけ人間に化けさせてもらって、戸の隙間からその手を入れるんだ」
「それでさっきの台詞か?」
「そう。まあ仔ギツネは手ぇ間違えちまうんだけど」
「まさか撃たれるのか」
「物騒な絵本にすんなよ。ちゃあんと売ってもらえるさ。銀貨をこう、打ち鳴らして。葉っぱで化かしてるんじゃねえって確かめて」
 ショウは頭上でコインをぶつける真似をした。ちいさな手の指先は、やっぱり赤いままだった。
 微笑ましい話の内容に反して、ヨシフが思い出したのはフォックスグローブという草の名前だった。正式な名はジギタリス。花の姿が可憐なために、園芸種として栽培もされている。
 釣鐘型の花を咲かせる、毒草だ。
 自分は子供と話すにはつくづく向いていないと思う。ショウのような小賢しい性格でなければ相性としては最悪だろう。
「『ほんとうに人間はいいものかしら、ほんとうに人間はいいものかしら』……」
 歌うように呟きながら空に手をかざし、子供は足音もなく歩いていく。その背を眺めて歩き始めてから、さっきの笑顔を写真に収め忘れた、と顔をしかめた。
「好きな絵本なのか?」
「んー、まあな。昔の話だけど」
「キツネ、見るか」
「いたっけ? 地図にゃ載ってなかったと思うぜ」
 そうして二人でまた地図を覗き込む。小さなアイコンに描かれた動物のイラストと名前をたどって、大小の指先が図上を行き交う。
「……いないな」
「みてえだな。ま、いーよ。別にそこまで見てえわけじゃねーし」
 ショウはこだわりなく地図をしまって、あ、と顔を上げた。
「おっさん、ゾウがいるぜ!」
 駆け出す子供の後を追って、ヨシフはポケットのカメラを取り出した。振り返った笑顔の眩しさを今度こそレンズに収める。
「すげー、でっけーな!」
「ああ」
 幾度かシャッターを切り、内心どっと溜息をつきながら短く応えた。考えの読めない子供に振り回されて、予期せぬシャッターチャンスを追って、これではまるで諜報部員だ。しかし仕事だと自分に言い聞かせて、ショウの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「おわっ!? やーめーろーよ!」
「ったく、お前を追いかけ回すこっちの身にもなれ」
「何だよ、歳か?」
「うるせえクソガキ」
「おっさんはおっさんじゃねえか。お、あっちはクマみてーだな」
「言ってるそばからお前は……」
 ちょこまかと動き回るショウを追ってコートの裾を翻す。分厚いガラスの向こうでのったりと木に登ろうとしている獣を指さして、「あいつは芹沢に似てるな」とショウは笑った。
「あの要領悪そうなとこ、そっくりだ」
「そうか?」
 その名には嫌な思い出しかないヨシフは顔をしかめた。頭の中でファイルをめくって男の情報を引っ張り出し、今は別の場所で働いていることを思い出す。ようやく像を結んだその姿かたちで言えば、確かに似ているかもしれなかった。
「あいつ、今は何やってんだろうな……」
 どこか懐かしげに呟いた子供に、仕事柄知り得た情報だけを端的に教えてやる。シゲオ・カゲヤマと同じ事務所に勤めていること。夜間学校に通い始めたこと。
 ヨシフが知っているということはつまり、彼らは政府の監視リストに名を連ねているという示唆でもあった。
「そっか」
 子供はそれ以上何も言わなかった。分かったような沈黙だな、と思いはしたが、ヨシフもやはりそれ以上は何も言わなかった。
 ちいさな手がひたりとガラスを撫でて、指の跡を残す。俯いた横顔からは何も窺えなかった。
 ほんとうに人間はいいものかしら、と、ショウの歌うような台詞を思い出す。
 良いものだと言い切れるなら、ヨシフのような立場は要らないだろう。違うと切り捨てることができるなら、この子供のような思いを抱えることはないだろう。
 誰もが手探りをしている世の中だから、自分たちはこうして並んで歩いている。
「……おっさん、次行こうぜ」
 ガラスから手を離したショウは、感情の読めない笑顔を浮かべていた。ヨシフは黙って頷いて、つかず離れずの距離で再び歩き始めた。
 こうして二人で話してみれば、やはり賢い子供だ、と思う。あの統一郎の息子だけあってひとつ話せば即座に裏まで読み取ることができ、感情ではなく理屈で語る。きっと多くの大人に囲まれて育ったのだろう。自分の父親の罪を知って糾弾し、真っ向から立ち向かい、倒すこともかなわないまま他人の手によって収監された事実を受け入れて、政府の犬であるヨシフにわだかまりをぶつけることもなく話をする。
 大人たちに「リーダー」と呼ばれる重圧など感じさせずに、凛と背筋を伸ばして立っている。
 ヨシフからすれば、つむじを見下ろせるほど小さな子供。
 ――たった十三歳。
 子供は目当てがあるわけでもなくぶらぶらと歩いて、ライオン舎の前で足を止める。悠然とした姿の百獣の王は、檻の向こうで狭い空を見上げていた。
 奴に似ている、と思った。ふと隣を見れば、食い入るようにブルーグリーンの瞳が獣を見つめている。
 誰を思い出しているか分かってしまった。
 どうしようもない気分になって、短く呼ぶ。
「ショウ」
 子供ははっとして振り返った。その顔にレンズを向けて一枚撮り、眉を上げてみせる。
「思い出せ、今日は何の日だ? 何のために、スズキは俺にこんな仕事を頼んできたと思ってる?」
「それは……」
「お前は馬鹿じゃない、分かってるはずだ。――檻の中にいるスズキが、お前にしてやれることなんて限られてる。今日の俺はそのためにいるんだ」
 本当なら母親だってこの子供のために何かしら準備をしているだろう。それでもショウはヨシフの呼び出しに応えた。政府という分厚い壁を越えて訪れた数少ない機会に、手を伸ばしてくれた。
 彼ら一家は確かに繋がっている。この子を通して。
 ショウは手のひらで顔を覆った。撮るなよ、と弱々しい制止に従って、少年のプライドのために傍に立って人目につかない死角を作ってやった。俯いた首に巻かれたマフラーが、獣の尾のように力なく揺れていた。
 ひとりでやれてしまう子供だから、その孤独を代わりに覚えておいてやろうと思った。もしも彼が押しつぶされてしまいそうになった時、支えを用意しておいてやれるように。どうせ何かあった時に呼び出されるのは自分なのだろうから。
「小言があるなら写真と一緒に届けてやるぞ」
「……じゃ、『とっとと更正して、とっとと出て来い』って、伝えといて」
「了解した」
 スズキがどんな顔してたかは今度教えてやる、と微笑むと、ようやくショウは笑みを零した。
 子供の願いが叶うかどうかはヨシフの与り知るところではない。けれど、裏に込められた思いは届くだろう。――彼らは親子なのだから。
 ライオンが低く唸って、二人は振り向く。腹の底に響く吠え声が冬空を裂いて大気を震わせた。
 子供は純粋な驚きに目を見開いて獣を見ていた。今日いちばん無垢な横顔を見た気がして、ヨシフは子供に気付かれないようそっとシャッターを切った。
 あの男もかつてこんなふうに我が子を眺めた日があっただろうか。いずれ、またこうして隣に並ぶ日も来るだろうか。
 ヨシフには分からない。自分にできるのは、仕事として彼らの仲介をすることだけだ。
 この写真を見て何か思うことがあるなら、せいぜい悔いればいい。
「少し風が出てきたな。中に入るか」
「……ん」
 口実を作ってやれば、子供は素直に頷いた。コートの裾を掴まれたのを感じて、そちらを見ずにぐしゃぐしゃと頭を撫でてやった。
 夜行性の鳥獣が展示されている獣舎は照明を絞った屋内になっていて、かすかに虫の音がBGMとして流れていた。すん、と洟をすする音が隣から幾度か聞こえた。頭を撫でてやろうとしてから、自分がずっと手袋をしたままだったことに気がついた。
 素手のほうがいいのだろうか。そう考えて、わずかに苦笑した。ガキのお守りとして使い走りをやらされているつもりだったのに、いつの間にかそんなことまで気にかけている。ちらりと腕時計に目を走らせて、声をかけた。
「そろそろメシにするか、クソガキ」
「ん」
 結局ヨシフは手袋をしたままで、ショウもポケットに手を突っ込んだままだった。
「食いたいもんはあるか?」
「別に、何も。つーか選べるほどメニューあんのか?」
「期待はできんだろうな。勝手に選んでいいなら、席取りはお前に任せる」
「オッケー。んじゃ、おっさんと同じので」
 手際よく役割分担をして、ヨシフは立地だけざっと確かめた。フードショップは座席のないつくりで、食事処というよりは軽食屋のような雰囲気だった。近くのベンチで食べろということらしい。先客たちが手にしている紙やプラスチックの容器とそれに乗せられた安っぽい食べ物を横目に眺め、おおむね予想通りのメニュー表に目を凝らした。
 ハンバーガー、からあげ、おにぎり、とラインナップを追った背後で遠くに小さなくしゃみが聞こえて、メニューを決めた。
「オムライスランチとクラムチャウダーを二つずつ」
 メニュー表の中で一番温かそうなものがそれだった。出口で受け取ってベンチに戻ると、子供は何とも言えない顔でチープな容器にのった卵色をじっと見つめた。
「なんだ、嫌いだったか?」
「……べつに」
 それでもショウは拒むでもなく食事を受け取って、無言で食べ始めた。ヨシフも隣に座ってクラムチャウダーに口をつける。こごえた体にはありがたい熱さだった。
 続いてやってきた親子連れを避けて、ベンチの微妙な距離を詰める。
「うまいか」
「こんなとこで食うなら、こんなもんだろ。とりあえず、あったけーからいいや。量はちょっと足りねえけど」
 プラスチックのスプーンがオムライスの腹をつついて、あっという間に切り崩していく。育ち盛りのガキには足りなかったか、とヨシフは肩をすくめた。
「他のメニューはハンバーガーと焼きそばくらいだったぞ」
「じゃあ、ハンバーガー追加で」
「俺ももう一つ欲しい、待ってろ」
 ヨシフも雑に食事を済ませて立ち上がった。再度並んだフードショップで、ふと思い立ってドリンクを追加した。
「おいガキ、ちょっと用事を思い出した。俺の分も持っててくれ」
「何だよ便所か?」
「ちげーよ、煙草だ。ガキはココアでも飲んで待ってろ」
「いちいちガキ扱いすんなよヤニ中」
 湯気を立ちのぼらせる紙コップを頬に押し付けられた子供は、ぺしりと追い払う仕草をした。口の横にケチャップ付いてるぞ、と言い残してヨシフはベンチを離れる。
 すでに園内の地図はおおかた頭に入っていた。喫煙所はパンダ舎を抜けて右手側。左手側には、土産屋があったはずだった。
 ショウには言っていない仕事がもうひとつある。
『――どうか私の代わりに、』
 静かな声音を思い出して舌打ちをした。わざわざヨシフを呼びつけておいて、何を頼むかと思えばそれだ。
 誰かへのプレゼントなど仕事で請け負うものではない。自分で選んで渡すのでなければ意味がないだろうに、あの男は人任せにしてしまう。
「せめてバースデーカードでも付けてやれ、とでも言ってやるんだったな……」
 溜息は白くたなびいて、すぐに消えた。坊主頭をがしがしと掻く。
 くしゃみをしていた子ギツネには手袋と、ライオンの耳当てでも買ってやろう。それなら少なくとも一時の癒しにはなるはずだ。
 自分のガキの好みくらい教えとけ、と文句を零しつつ手のひらで小銭を鳴らす。ショウの仕草を真似て銀貨を頭上で打ち鳴らしてみれば、軽やかに澄んだ音がした。
 ほんとうに人間はいいものかしら、という問いに対してヨシフは答えを持たない。同じ家で暮らした親子でさえ対立し、真っ向から戦う世の中だ。仮にヨシフが答えたとしても、それはヨシフのものであって彼らの答えではない。
 あの賢い子供ならば、いつか答えに手が届くだろう。それが希望であればいい。絶望であっても、自分は聞こう。たとえ敵として煙を吹きかける日が来たとしても、あるがままのショウの答えを受け取ろう。
 銀貨に冬の日差しが跳ねて、わずかに目を細める。
「お前の手にぴったりの手袋があるかは知らないが――」
 請け負ったからにはとびきりの笑顔を持ち帰ってやる。
 それが、ヨシフの仕事だ。

(了)

Freetalk

素敵な企画にお招きくださり、ありがとうございます。どちらのお題も楽しそうでギリギリまで悩みましたが、仔狐ショウくんが書きたくて「動物」を選びました。ヨシフとショウくんの程よい他人の距離感は書いていて楽しかったです。
ヨーロッパでの狐といえば「害獣=ずる賢い悪者」のイメージがある反面、日本においては稲荷信仰の対象であったり、狂言『釣狐』など賢いながらもどこかおちゃめで憎めない一面もあります。そういった多面性は謎めいた少年だった初登場時の「スズキショウ」と再登場後の「鈴木将」の関係にどこか似ている気がします。また、ショウくんを何の肩書きもないただの子供にしてやれる大人は案外少なくて、一日くらいそういう日があってもいいんじゃないかと思って書いた次第です。
願わくば彼の行く先に幸いがありますように。苦難の道だとしても、乗り越えられますように。
Happy birthday, Syou!

※作中に引用した新見南吉『手袋を買いに』は青空文庫にて全文公開されています。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html

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